前の投稿からだいぶ時間があいてしまいましたが、

前回に引き続き、講話について綴っていきたいと思います。


1.ビーチサッカーをいつ始めたか?また、そのきっかけは?

2.日本代表に入ったのはいつ?

3.国内の試合と代表の試合、それぞれ1番思い出深い試合は?

4.ビーチサッカー選手として心掛けていることは?

5.試合前のルーティーンはありますか?

6.ワールドカップとはどんなものか?(肌で感じたこと)

7.どんなトレーニングをしてそんなに足が速く、身体能力が高くなったか?

8.大場選手のビーチサッカー選手として、また人としての目標とは?


今回は
2.日本代表に入ったのはいつ?
という質問について、お話しできればと思います。


Q.日本代表に入ったのはいつ?

A.僕が初めて日本代表の候補合宿に選出されたのは19歳のときで、
正式に日本代表として選出されたのは21歳のとき。

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当時の日本代表は、いまと違ってプロとして活躍している選手達がほとんどで、
生活をかけてプレーしている選手達ばかり。
合宿では、ほんの少しのミスでも
「おい!なにやってんだよ!」
「やる気ねえなら帰れよ!」
「遊びじゃねえんだよ!」
と激が飛ぶのが当たり前だった。


当時まだ学生だった僕とは比べ物にならないほどの熱量でプレーしていて、
実際に背負っているものの数や大きさがまるで違った。


結局僕は緊張感や厳しさ、競争の激しさに完全に押しつぶされて、
その年のワールドカップのメンバーからは落選。。
自身の落選を知ったとき、当然落ち込みはしたが、
どこか自分のなかで納得もしていた。


当時の僕は何かを背負うこともなく、ただ自分のためだけにプレーしていたんです。
だから何を言われても言い返せない。
ことごとく打たれ弱かったなと。。

このとき僕は、そんな弱い自分を強く恥じ、
必ず強くなって日本代表に必要とされる選手になることが一つの目標となりました。



それから1年半、日本代表に相応しい人間になるため、
とにかく人間性を磨きたいと思い、
本を読み、講演会に参加し、自問自答を繰り返しながら
日々トレーニングに励んだ。


何百万円もかけて通っていた専門学校も途中で辞めて、
担任からは「安定を捨てるなんてアホだ」と言われ、
家族とは大喧嘩。縁を切るとも言われた。
このとき一番つらかったのは、6人兄弟を女手一つで育ててくれた母を泣かせたこと。
これはいま思い出しても、何よりもしんどかったと言い切れる。


毎日かかってくる家族からの電話で、
いよいよ心が折れそうになっていたある時期、親友から薦められて
とある1冊の本と出会った。

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喜多川泰さんの作品
「また、必ず会おう」とだれもが言った。


この作家さんの本との出会いによって、自分の価値観が変わり、背中を押され、
一度きりの人生を沢山のご縁を大切にしながら生きようと決めました。


あのとき、家族の声に耳を傾けすぎて、
学校に行き続けて地元の病院なんかに就職していたら、今のような生活はないし
間違いなく日本代表としてプレーできていなかっただろう。


そして、なにかうまくいかないことがあったときに、
「あの時、やっぱり辞めるべきだった。。」とか
「家族に辞めるなと言われたから。。」とか
言い訳や責任転嫁ばかりして生きていたと思う。



このときの経験が自分を大きく成長させてくれたと自信を持って言える。
全て自分の責任で物事を選択できるようになって、
何か失敗をしても他人のせいにすることなく、
自分を省みるための学びへと昇華できるようになった。



このころから合宿でも矜持をもって戦えるようになった。
家族や仲間への想いや、言葉ではなかなか表現できない日の丸を背負うことへの想い。
2014年の初選出からこれまで、沢山の想いを背負ってプレーできている。



そしてこれからも日本代表選手として誇りを胸に、
世界と戦い続けていきたい。


ciao‼